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札幌地方裁判所 昭和46年(わ)718号 判決

被告人 山田龍男

昭八・一・一〇生 無職

山下主計

昭二三・九・一九生 無職

主文

被告人山田龍男を懲役二年六月に、被告人山下主計を懲役三年六月に各処する。

未決勾留日数中被告人山田龍男に対しては一二〇日、被告人山下主計に対しては一一〇日をそれぞれその刑に算入する。

被告人山下主計から、押収してあるドライバー二本(昭和四六年押第一七二号の一、三)、およびドライバー八本組ケース入り一組(同号の二)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人両名は共謀のうえ、別紙犯罪一覧表(一)記載のとおり、昭和四六年七月三〇日ころから同年九月三日ころまでの間二〇回にわたり、札幌市大通東八丁目有限会社真栄鋼材事務所ほか一九箇所において、渋谷和衛ほか二四名の所有または管理にかかる現金合計四八万八、三五〇円くらい及びキヤビネツト一箇ほか四七点(時価合計八万四、〇五〇円相当)を窃取した。

第二、被告人山下は、別紙犯罪一覧表(二)記載のとおり、昭和四六年八月一六日ころから同年九月一八日ころまでの間一八回にわたり、札幌市中の島二条二丁目朝倉末郎方ほか一七箇所において同人ほか二〇名所有の現金合計九万二、八三〇円位およびネクタイピン一本ほか四六点(時価合計二万八、九五〇円相当)を窃取した。

第三、(1) 被告人山下は、昭和四六年九月一八日午後四時二〇分ころ札幌市北二一条西三丁目蝦名賢造方において、同人所有のボストンバツク一箇(時価三、〇〇〇円相当)を窃取し、

(2) そうして、被告人が右蝦名方のベランダから逃走したところ、これを目撃した熊坂コトおよび同女から逮捕方を依頼された田口信夫、石川清範に追跡され、右蝦名方から約一〇〇メートル余り離れた同市北二一条西四丁目和田寿郎方裏庭に逃げ込んだところを同日午後四時三〇分ころ、同所で右両名に逮捕されたが、その際、右田口が被告人のネクタイを掴んで引つ張つたので、被告人は「苦しいからゆるめてくれ」と頼んだが、同人から「泥棒に情をかける必要はない」といわれたうえ、なおもネクタイを掴んだ手をゆるめなかつたことに憤慨して、同人の顔面を一回手拳で殴打し、さらに同人の足を数回蹴るなどの暴行を加えた、

ものである。

(証拠の標目)(略)

(累犯前科)

一、被告人山田は、(1)昭和四一年二月三日札幌地方裁判所岩内支部で詐欺、窃盗罪により懲役一年六月に処せられ、昭和四二年七月三日右刑の執行を受け終り、(2)その後犯した窃盗罪により昭和四四年一二月二日札幌地方裁判所小樽支部で懲役一年六月に処せられ、昭和四六年三月二八日右刑の執行を受け終つたもので、この事実は同被告人の前科調書によつて認める。

二、被告人山下は、昭和四五年一月二六日札幌簡易裁判所で窃盗罪により懲役一〇月に処せられ(前刑の執行のため昭和四五年九月二六日刑始期)、昭和四六年七月二五日右刑の執行を受け終つたもので、この事実は同被告人の前科調書によつて認める。

(被告人山下に対する強盗致傷の訴因に対し、窃盗と暴行を認定した理由および右暴行は正当防衛であるという弁護人の主張に対する判断)

訴因の要旨は「被告人は判示第三の(1)記載の犯行後、田口信夫、石川清範の追跡をうけ、同(2)記載の和田寿郎方裏庭に逃げ込み、同所において、右田口、石川の両名に掴まえられるや、逮捕を免れる目的で右田口の顔面を殴打しその身体を足蹴りにし、所携のドライバーで同人の頭部を刺すなどの暴行を加え、さらに同所付近で右石川の身体を足蹴りにするなどの暴行を加え、よつて右暴行により右田口に対し加療約一週間を要する頭部裂傷、右前腕部擦過傷の傷害を与えた」というのである。これに対し、弁護人の主張の要旨は、

「1、本件については刑法二四〇条前段の強盗致傷罪は成立しない。すなわち、(1)田口の頭部および右前腕部の傷害はいずれも被告人の所為によるものではなく、ことに頭部の傷害は、田口が被告人を捕えるため和田方の庭の裏側にめぐらしてある生垣を通り抜け同庭内に入ろうとした際、生垣付近の立木の枝などに頭部を擦過するなどして負つたものでないかと思われる。(2)被告人は田口に対し殴るなどの暴行を加えたことは認めているが、逮捕を免れるという意思でしたものではない。(3)石川に対し暴行を加えた事実はない。従つて、同法二三八条の強盗は成立しない。2、被告人の田口に対する暴行は、被告人が同人からネクタイをつかんでふり回されるなどし、そのため「苦しいから止めてほしい」と懇願したのに「泥棒に情なんかかける必要はない」などといわれたので、腹立ちまぎれとネクタイで振り回されることの苦しさから免れようとして反撃したものであるから正当防衛である。本件訴因については結局窃盗罪が成立するにとどまる。」というにある。

一、被告人がドライバーを振り廻わしたかどうか、及びこれによつて田口の頭部に裂傷を負わせたかどうかについて、

この点の主な積極証拠としては、田口信夫、石川清範の検察官に対する各供述調書と田口の公判廷における証言があり、

これによると、要するに、石川、田口の両名が和田寿郎方庭内で被告人を逮捕し、これに続いて、石川がその付近にあつた被告人の所携していたボストンバツクを拾い上げようとして離れた際、被告人が田口に向つてドライバーを振り廻したこと、そのドライバーが田口の頭部に当つたかどうかについてまでは田口、石川両名とも直接認識してはいないが、その直後の時点において石川が被告人の手からドライバーを取りあげたこと、次いで田口、石川の両名が被告人を連行して和田方庭内を出て和田方玄関付近まできた際、田口の頭部から出血していることを発見したこと、そのため田口、石川の両名は、被告人の振り廻わしたドライバーによつて田口が頭部裂傷を負つたものと考え、その旨警察官に対し被害の申告をしたというのであり、

そして石川、田口の検察官に対する各供述調書を通らんすると右供述記載相互間には大きな矛盾や喰い違いなどはなく、とくに不自然と思われる点もないこと、また被告人がドライバーを握つていた状況や石川が被告人からドライバーを取りあげた状況について、「(犯人は)ドライバーの殆んど真中を握りしめて居り、二人はすぐ起きあがつてからもドライバーをふりまわしていた。」「私(石川)は危いと危険を感じてその男(犯人)の右手をねじあげてドライバーを取つた」というように、たんなる想像だけでは述べえないような具体的な叙述も含んでいることなどを考えると、石川、田口の検察官に対する各供述調書中の記載およびこれに沿う田口の公判証言は、一応これを信用してよいように思われる。

しかしながら更に詳細に検討してみると、

(一)  石川は、右のように検察官の取調べに対しては、被告人がドライバーを振り廻したのを見た旨および自分が被告人の手からドライバーを取りあげた旨供述していたが、公判廷における証人尋問の際には、記憶がうすれてはつきりしない点のあることを承認しながらも、被告人が田口ともみ合つていた際、「(被告人が)ドライバーを手に握つていたか、どうか分らない」(速記録七丁裏)、「(自分はドライバーを)取りあげたんでなしに取つたんです。何か落ちてたものか、握つてたものか、その時点では(はつきり分らない)」(二〇丁裏)、「(検事に対して………自分はその男が右手にドライバーを持つているのをみたと言つた)…………(しかし)持つていたような気がしたんです。それともポケツトの中にあつたような気もするし、落ちてたような気もする」(一九丁)と述べ、さらに石川と田口が被告人を連行して和田庭内を出て和田方玄関辺りまできて、田口の頭部の出血に気づいた際、石川から田口に対し「どうしたんだ」と尋ね、これに対し田口が「何か分らないけれども、持つているんでないか」とききかへし、「これかい」「それらしいんだ」という問答をかわした(一五丁)ことがあり、その際、「自分はドライバーを持つていたが、田口は『ころんだときに何か分らないけれども堅いもので切つた…………ドライバーか何か分らないけれども堅いもので切つた』と…………ただそれだけしか聞いていない」旨(一二丁裏、一三丁)の証言をしているのである。

石川の以上のような公判証言が一応信用できるならば、被告人が田口に対しドライバーを振り廻わしていたという事実自体相当疑問があることになる。

そこで石川の公判証言の信用性如何について考えると、その点については、やはり種々の問題点を指摘することができる。事件発生の時点から右公判証言の時点までそれほど日時が経過しているわけでないのに、証言内容はいかにも自信のない態様のものが多いこと、石川は警察官の取調べをうけた際には無理な扱いは受けておらず大体記憶のままを述べたが、検察官の取調べをうけた際には、些か誘導的な又は性急な態度の取調べをうけ(一四丁裏)、そのため推測、想像をまじえた(一八丁裏、一九丁裏)供述をせざるをえなかつたという趣旨の証言をしているが、当裁判所が石川の右検察官調書の採否決定をするための資料として検察官から呈示をうけた石川の右警察官調書と対照したところ、この両供述調書相互間には大筋において殆んど差異がないように認められたのであつて、このことに照らすと、石川がことさら検察官に対する供述の信用性のみを非難するのは甚だ納得しがたいものであることなど、以上のような問題点がある。

しかし更に飜つて考えると、証人石川の被告人に対する関係は全くの第三者であつて、石川において被告人をかばいだてしてそれに有利な証言をしなければならないような事情があるとは思われないこと、仮りに、石川が検察官から取調べをうけた際不当な扱いをうけそのためこれに一種の反感を抱いたとしても、偽証を犯してまでも被告人を有利に導くべき虚偽証言をする気になるとは、どうしても思われない。このことと、石川の公判証言が、前記のとおりあいまいな点を含むとしても、それなりにかなり具体性に富む内容のものであり、かつ卒直な態度で証言していたものであり、全くの作りごとを述べているとは認められないことなどを考えると、本件の事実関係を考察するうえにおいて石川の公判証言を全面的に無視してよいとはとうてい思われない。

(二)  他方、田口の公判証言をみると、その述べているところには前述のとおり、とくに大きな矛盾や不自然な点はなく、かつ自信にみちた態度ですらすら供述していたものであつて、一応の印象としては、これに高度の信用性を認めてもよいように思われる。しかしながら、速記録に基ずいて詳しく検討し、かつこれを同人の検察官に対する供述調書とも対照してみると、事柄をオーバーに表現したり、質問に応じて思いつきのまま、いい加減な答えをする傾向のあることも看取することができる。例えば、頭部の負傷の程度については、検察官に対しては一針を縫合しただけであると述べていたのに、公判では二針縫合したと述べている。また和田庭内で被告人ともみ合つた状況についてある質問に対しては、被告人から足払いをかけられて一回ころんだだけであるように述べながら(速記録一二丁裏)、他の質問に対しては、二回も三回も転んだように述べている(一九丁)。田口の方から被告人に対し、有形力を行使したかどうかについて、検察官調書においては、ネクタイを引張つた点を除くと、和田庭内から外に出て小坂商店の前で一回足払いをかけてやつただけで、その外には何もしていないと述べていたようであるが、公判証言においては、和田庭内においても被告人との間でお互いに相当やり合つた、相当回数足払いをかけ合つたというような供述をしている(一九丁)。要するに田口の証言内容、その証言態度などを厳密に検討するならば、同人は一つ々々の質問の趣旨を冷静に聞きとつて正確にありのままに自己の記憶を語るというのではなく、質問如何によつては、その場その場の思いつきを相当自由奔放に述べまくるというタイプの、主観の強い証人とみてよいようであり、それ故その証言を評価する場合、相当な警戒を要するものといわなければならない(なお、同人のこのような供述態度は、捜査段階における検察官による取調べの際にも表出されなかつたかどうか甚だ危惧される次第である)。このような点、その他、田口において、もし本当に被告人からドライバーを振り廻されており、かつそのドライバーで頭部を一撃されたものであるならば、すくなくともその感触程度のものは受傷当時にも認識していたろうと思われるのにその点の認識を全く欠いていること、また同証人は被告人がドライバーを振り廻すのを見た旨証言しているが、どのような恰好で振り廻していたか、どのような方向から振りかざしてきたか、或いはこれに対応する同証人の行動如何というような具体的な状況については、全く証言できない有様であることなどを考慮すると、被告人がドライバーを振り廻したという証言部分自体についても、それが果たしてどの程度正確な認識、記憶に基ずくものであるか疑わしいといわなければならない。もしかすると、被告人を逮捕した途中に自己の負傷に気づいたこと、その際石川がドライバーを手にしていたこと、そのドライバーが被告人の所携品であつたこと、石川との間で右受傷の原因についてドライバーとの関係で種々推測的な意見を交換し合つたこと、このような種々の認識や推測が混同し又は互いに干渉し合つたすえ、警察官に対し誇張又は主観に偏した被害の申告をしてしまい、そのためその後の検察官の取調べや公判証言に際しても、同趣旨の供述をしているのでないかという疑念を払拭することができないのである。

(三)  弁護人は、田口の頭部裂傷は、同人が被告人を逮捕するため和田宅の裏側の生垣を越えて庭内に入りこんだ際、生垣付近の立木の枝などに頭部をひつかけるなどしたため生じた可能性があると主張しているが、当裁判所の検証調書の記載によると、やはり、その可能性はないわけではないと思われる。もつともこのように見た場合、受傷の時点と、田口、石川が田口の頭部からの出血に気づいた時点との間に、やや時間的間隔がありすぎるのではないかという疑問がある。しかし、田口の受傷による出血の程度、量は田口のいうほどに多量のものであつたとは必ずしも確認しがたいこと(医師及川隆司の取調べなどによつてもこれを確認する資料はえられなかつた)、田口の右受傷の部位は一応頭髪に蔽われた箇所(当裁判所検証調書の写真参照)であつて、出血が顔面に流れ出てくるまで若干の時分を要するとみてもおかしくないこと、及び田口が生垣付近を通過したのち田口、石川が右受傷に気づくまでの間、犯人の逮捕、犯人との揉み合いその他で、田口、石川両名とも相当興奮して立ち回つていたことなどを考えると、受傷とそれに気づくまでの間に多少の時間的間隔があつたということは、なんら不自然なものでないといつてよいこと、

(四)  その他、被告人は右ドライバーと田口の受傷との関連について、検察官に対する供述調書の中においては「ドライバーで叩くとか突くかしたかよく覚えていないが、相手の方でそういうなら突いたかも知れない」旨、ややあいまいな供述をしているが、これを除くならば、終始ドライバーを振り廻したことはない旨供述しており、とくに警察官の取調の際は相当強い態度で否認していたようであり、その弁解は全くとるに足りないものともいえないように思われる。

以上(一)ないし(四)を綜合すると、被告人がドライバーを田口に向つて振り廻したこと及びこれによつて田口に傷害を負わせたという点については証明不十分といわなければならない。

二、次に田口の「右前腕部擦過傷」について検討する。

松江義弘の受命裁判官に対する尋問調書によれば、右の点に関する医師松江義弘作成の診断書は、田口を直接診療していない松江病院の院長である同医師が、同病院備付の田口のカルテに基づいて作成したものであることが認められる。ところが右カルテ(写)には右傷病名および同傷病に対する措置等の記載はなく、及川隆司の当公判廷における供述によつても右の事実は確認することができない。田口は検察官に対して「その男(被告人)に抵抗されてついたものに間違いありません。それ以外につくことはありませんでした。」と述べており、後記暴行の機会に生ずる可能性も全くなかつたとはいい切れないのであるが前記したとおり田口が和田方生垣を通り抜けた場所は障害物が多く犯人追跡のため可成り急いでいたとすれば、右生垣を乗り越えたにせよ多少の擦過傷が生じうる可能性が認められるし、負傷の程度も全く明らかでない。従つてこの点に関する証明も十分でない。

三、被告人が、石川清範に対し暴行を加えたかどうか、

この点について石川清範の検察官に対する供述調書にはこれを肯定する旨の供述記載があるが、同人は公判廷における証言ではこれを否定しているので、他に証拠がない以上、この点もまた証明不十分といわなければならない。

四、被告人が田口に対し殴つたり蹴つたりした点が事後強盗罪を構成するかどうか、

被告人が、和田庭内において手で田口の顔面を殴つたり、その身体を蹴つたりしたことは、証人田口、石川の各公判廷における証言、被告人の警察官、検察官に対する各供述、公判廷における供述などによつて明らかである。しかしながら、これらの各供述とくに田口の公判供述および被告人の司法警察官に対する供述調書(九月一九日付)、検察官に対する供述調書(九月二九日付)などによると、

(一)  被告人が右の暴行を加えたのは、田口が被告人を逮捕した際被告人のネクタイを手でつかみ、かつこれを引張り廻すなどしたこと、そのため被告人が田口に対して「苦しいから放してくれ」とか「逃げないからネクタイを引張るのはやめてくれ」などといつたのに対し、田口が「泥棒なんかに情をかける必要はない」などといつてききいれなかつたこと、そのため被告人が立腹して石川がボストンバツクを拾いあげるため離れた際に、田口に右の暴行を加えたように思われる。

(二) 被告人は、公判廷において、右のように弁解しているほか、さらに、田口から泥棒に情無用といわれたばかりでなく、田口からまず顔を殴りつけられ、そのため自分の口唇が切れたので殴り返したと述べており、警察官による取調べの際にも、これに沿う旨のことを述べている。これに対して、田口の証言によると、被告人の方が先きに自分を殴つたり蹴つたりしてきたので、これに反撥して自分も被告人に足払いをかけたり、又はネクタイを力一杯引張つたりしたのであるという趣旨の供述をしている。ところで当時両名のもみ合つていた付近には和田教授もいたようであるから、田口の方で泥棒に情無用といつたりしたことはあるとしても、それ以上、田口の方から先制的に被告人を殴りつけるというような、大人気ない行為に出るとは思われないように考えられるが、先きに指摘した田口の証言内容、証言態度などから窺われる、田口の些か感情的で主観的傾向の強い性格を考えると、田口においては、被告人の立場から見た場合、相当手あらと思われるような方法でネクタイを引張り廻したようなことは十分ありうるように思われる。そのため被告人が立腹して田口に対して、殴る、蹴るというような行動に出たとすれば、このような場合、右暴行は、主として逮捕を免れるために出た行為というよりも、主として憤激の念から出た行為と評価すべき余地があるといつてよく、このような場合、事後強盗罪の成立を認めるのは相当ではない。

(三)  田口が、被告人のネクタイを引張つたとしても、それは格別被告人に対し苦痛を与えることにならないという見方もありうるかも知れない。しかしネクタイを上下真直ぐな方向、すなわち頸部の正面の方向に引張つただけでは、殆んど肉体的苦痛を与えないようであるが、頸部の正面に対し左又は右方、斜めの方向に引張るなどした場合には、頸部脈の部位に圧力が加つて相当大きな苦痛感、圧迫感を伴うことは十分考えられるから、田口の被告人に対する行動が、被告人に憤激の念を抱かせるに足りないものであるとみることはとうていできない。

(四)  被告人の前掲検察官に対する供述調書には、右暴行の動機として、田口の非情に対する憤激の念とともに、「こんな男達に捕つてたまるものか、逃げてやれ」という動機も併存していた旨の供述記載がある。他方、公判廷においては、被告人は全く憤激の念から右暴行に出たことを強調する趣旨の供述をしている。人間の心理は単純なものでないとともに捕捉しがたいものであるから、純粋に憤激の念から出たという公判供述を、そのまま受けとつてよいとはとうてい思われないが、それと同時に当時の被告人の実際の心理が検察官に対する供述調書中の右記載どおりのものであつたと断定すべき保証もないといつてよいであろう。

結局前掲(二)、(三)の諸点のほか、なお、被告人が田口に対してのみ暴行を加え、田口と同じように逮捕に関与していた石川(同人は単に被告人の腕を押えるなどしただけで、ネクタイを引張るなど被告人を刺戟するような行動にでていない)に対しては格別の暴行を加えていないこと(少くともこれを確認できない)なども合わせ考えるならば、被告人の田口に対する暴行の動機が主として憤激の念からであつたとみるべき余地が全く否定されるというようなことは、とうていいえないであろう。

五、被告人の田口に対する前記暴行が正当防衛といえるかどうか、

前掲各証拠によれば田口が被告人のネクタイを逮捕と同時につかみ、被告人を警察官に引渡すまではなさず、その間ネクタイをつかんだまゝ両者がもみ合う状態、すなわち、被告人が田口に対し「苦しいからゆるめてくれ、逃げもかくれもしない」といつて頼んだのに、田口はかえつて「泥棒に情をかける必要はない」といつてその手をゆるめようとしなかつたので、被告人は憤激し、苦しさも手伝つて田口の顔面を一回殴打し、つづいて田口の足を蹴つたりしたため田口からも蹴られたり、相互に足払いをかけあつたりし、そのためひざをつくようにして倒れたりしたことが認められる。ところで、正当防衛の要件である「不正の侵害」かどうかは、客観的に実質的違法性を具備するか否かによつて決すべきであることは勿論であるが、本件田口の右行為は私人の現行犯人逮捕の際に行なわれたもので、逮捕について特別な知識経験のない逮捕者にとつては犯人の逃走の見込の判断も困難で、どの程度の拘束で逃走を防ぐことができるかについても確たる自信もなく、高度の興奮と不安、緊張のうちに行なわれたであろうことは推認するに難くない。このような状況のもとで行なわれた右田口の行為は、多少の行過ぎの感は免れないとしても、未だ逮捕権の限界を越えてなされたものとまでは認められなく、あえて「不正」というにあたらない。従つて、これに対する被告人の暴行について正当防衛の法理を認めることはできなく、弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人山田の判示第一の各所為はそれぞれ刑法六〇条、二三五条に該当するが、同被告人には前記の前科があるので同法五九条、五六条一項、五七条によりそれぞれ三犯の加重をし、以上の罪は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により最も犯情の重い別紙犯罪事実一覧表(一)番号10の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、その刑期の範囲内で同被告人を懲役二年六月に処する。

被告人山下の判示第一、第二および第三の(1)の各所為は同法二三五条(共犯にかかるものについては同法六〇条も適用)に、判示第三の(2)の所為は同法二〇八条、罰金等臨時措置法三条一項一号にそれぞれ該当するところ、判示第三の(2)の罪につき所定刑中懲役刑を選択し、前記の前科があるので刑法五六条一項、五七条により以上の各罪につきそれぞれ再犯の加重をし、以上の各罪は同法四五条前段の併合罪であるから同法四七条本文、一〇条により最も犯情の重い別紙犯罪事実一覧表(一)番号10の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、所定刑期の範囲内で同被告人を懲役三年六月に処する。同法二一条を適用して未決勾留日数中被告人山田については一二〇日を、被告人山下については一一〇日をそれぞれ右各刑に算入する。

押収してあるドライバー(柄木製全長二一・七センチメートル)一本(昭和四六年押第一七二号の一)は判示第三(1)の、ドライバー(八本組ケース入り)一組(同号の二)およびドライバー(柄木製全長二五・五センチメートル)一本(同号の三)は判示第二別紙犯罪一覧表(二)1の各犯行の用に供し、または供せんとした物で被告人山下以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項を適用していずれもこれを被告人山下から没収し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人両名に負担させないこととする。

(別紙略)

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